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Author: 夏目漱石

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先生は少し風邪の気味で、座敷へ出るのが臆劫だといって、私をその書斎に通した。書斎の硝子戸から冬に入って稀に見るような懐かしい和らか
な日光が机掛けの上に射していた。先生はこの日あたりの好い室の中へ大きな火鉢を置いて、五徳の上に懸けた金盥から立ち上る湯気で、呼吸の
苦しくなるのを防いでいた。
「大病は好いが、ちょっとした風邪などはかえって厭なものですね」といった先生は、苦笑しながら私の顔を見た。
先生は病気という病気をした事のない人であった。先生の言葉を聞いた私は笑いたくなった。
「私は風邪ぐらいなら我慢しますが、それ以上の病気は真平です。先生だって同じ事でしょう。試みにやってご覧になるとよく解ります」
「そうかね。私は病気になるくらいなら、死病に罹りたいと思ってる」
私は先生のいう事に格別注意を払わなかった。すぐ母の手紙の話をして、金の無心を申し出た。
「そりゃ困るでしょう。そのくらいなら今手元にあるはずだから持って行きたまえ」
先生は奥さんを呼んで、必要の金額を私の前に並べさせてくれた。それを奥の茶箪笥か何かの抽出から出して来た奥さんは、白い半紙の上へ鄭寧
に重ねて、「そりゃご心配ですね」といった。
「何遍も卒倒したんですか」と先生が聞いた。
「手紙には何とも書いてありませんが。――そんなに何度も引ッ繰り返るものですか」
「ええ」
先生の奥さんの母親という人も私の父と同じ病気で亡くなったのだという事が始めて私に解った。
「どうせむずかしいんでしょう」と私がいった。
「そうさね。私が代られれば代ってあげても好いが。――嘔気はあるんですか」
「どうですか、何とも書いてないから、大方ないんでしょう」
「吐気さえ来なければまだ大丈夫ですよ」と奥さんがいった。
私はその晩の汽車で東京を立った。
父の病気は思ったほど悪くはなかった。それでも着いた時は、床の上に胡坐をかいて、「みんなが心配するから、まあ我慢してこう凝としている
。なにもう起きても好いのさ」といった。しかしその翌日からは母が止めるのも聞かずに、とうとう床を上げさせてしまった。母は不承無性に太
織りの蒲団を畳みながら「お父さんはお前が帰って来たので、急に気が強くおなりなんだよ」といった。私には父の挙動がさして虚勢を張ってい
るようにも思えなかった。

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