Libro · こころ
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Autor: 夏目漱石
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「あなたは私の思想とか意見とかいうものと、私の過去とを、ごちゃごちゃに考えているんじゃありませんか。私は貧弱な思想家ですけれども、
自分の頭で纏め上げた考えをむやみに人に隠しやしません。隠す必要がないんだから。けれども私の過去を悉くあなたの前に物語らなくてはなら
ないとなると、それはまた別問題になります」
「別問題とは思われません。先生の過去が生み出した思想だから、私は重きを置くのです。二つのものを切り離したら、私にはほとんど価値のな
いものになります。私は魂の吹き込まれていない人形を与えられただけで、満足はできないのです」
先生はあきれたといった風に、私の顔を見た。巻烟草を持っていたその手が少し顫えた。
「あなたは大胆だ」
「ただ真面目なんです。真面目に人生から教訓を受けたいのです」
「私の過去を訐いてもですか」
訐くという言葉が、突然恐ろしい響きをもって、私の耳を打った。私は今私の前に坐っているのが、一人の罪人であって、不断から尊敬している
先生でないような気がした。先生の顔は蒼かった。
「あなたは本当に真面目なんですか」と先生が念を押した。「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。しかし
どうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと
思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか」
「もし私の命が真面目なものなら、私の今いった事も真面目です」
私の声は顫えた。
「よろしい」と先生がいった。「話しましょう。私の過去を残らず、あなたに話して上げましょう。その代り......。いやそれは構わない
。しかし私の過去はあなたに取ってそれほど有益でないかも知れませんよ。聞かない方が増かも知れませんよ。それから、――今は話せないんだ
から、そのつもりでいて下さい。適当の時機が来なくっちゃ話さないんだから」
私は下宿へ帰ってからも一種の圧迫を感じた。
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