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Teclado

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Autor: 夏目漱石

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「私にいわせると、奥さんが好きになったから世間が嫌いになるんですもの」
「あなたは学問をする方だけあって、なかなかお上手ね。空っぽな理屈を使いこなす事が。世の中が嫌いになったから、私までも嫌いになったん
だともいわれるじゃありませんか。それと同なじ理屈で」
「両方ともいわれる事はいわれますが、この場合は私の方が正しいのです」
「議論はいやよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白そうに。空の盃でよくああ飽きずに献酬ができると思いますわ」
奥さんの言葉は少し手痛かった。しかしその言葉の耳障からいうと、決して猛烈なものではなかった。自分に頭脳のある事を相手に認めさせて、
そこに一種の誇りを見出すほどに奥さんは現代的でなかった。奥さんはそれよりもっと底の方に沈んだ心を大事にしているらしく見えた。
私はまだその後にいうべき事をもっていた。けれども奥さんから徒らに議論を仕掛ける男のように取られては困ると思って遠慮した。奥さんは飲
み干した紅茶茶碗の底を覗いて黙っている私を外らさないように、「もう一杯上げましょうか」と聞いた。私はすぐ茶碗を奥さんの手に渡した。
「いくつ? 一つ? 二ッつ?」
妙なもので角砂糖をつまみ上げた奥さんは、私の顔を見て、茶碗の中へ入れる砂糖の数を聞いた。奥さんの態度は私に媚びるというほどではなか
ったけれども、先刻の強い言葉を力めて打ち消そうとする愛嬌に充ちていた。
私は黙って茶を飲んだ。飲んでしまっても黙っていた。
「あなた大変黙り込んじまったのね」と奥さんがいった。
「何かいうとまた議論を仕掛けるなんて、叱り付けられそうですから」と私は答えた。
「まさか」と奥さんが再びいった。
二人はそれを緒口にまた話を始めた。そうしてまた二人に共通な興味のある先生を問題にした。
「奥さん、先刻の続きをもう少しいわせて下さいませんか。奥さんには空な理屈と聞こえるかも知れませんが、私はそんな上の空でいってる事じ
ゃないんだから」
「じゃおっしゃい」
「今奥さんが急にいなくなったとしたら、先生は現在の通りで生きていられるでしょうか」
「そりゃ分らないわ、あなた。そんな事、先生に聞いて見るより外に仕方がないじゃありませんか。私の所へ持って来る問題じゃないわ」
「奥さん、私は真面目ですよ。だから逃げちゃいけません。正直に答えなくっちゃ」
「正直よ。正直にいって私には分らないのよ」

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