Libro · こころ
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Autore: 夏目漱石
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奥さんは取り付き把のない人だといって笑っていました。お嬢さんはまたわざわざその例を挙げて私に説明して聞かせるのです。火鉢に火がある
かと尋ねると、Kはないと答えるそうです。では持って来ようというと、要らないと断るそうです。寒くはないかと聞くと、寒いけれども要らな
いんだといったぎり応対をしないのだそうです。私はただ苦笑している訳にもゆきません。気の毒だから、何とかいってその場を取り繕っておか
なければ済まなくなります。もっともそれは春の事ですから、強いて火にあたる必要もなかったのですが、これでは取り付き把がないといわれる
のも無理はないと思いました。
それで私はなるべく、自分が中心になって、女二人とKとの連絡をはかるように力めました。Kと私が話している所へ家の人を呼ぶとか、または
家の人と私が一つ室に落ち合った所へ、Kを引っ張り出すとか、どっちでもその場合に応じた方法をとって、彼らを接近させようとしたのです。
もちろんKはそれをあまり好みませんでした。ある時はふいと起って室の外へ出ました。またある時はいくら呼んでもなかなか出て来ませんでし
た。Kはあんな無駄話をしてどこが面白いというのです。私はただ笑っていました。しかし心の中では、Kがそのために私を軽蔑していることが
よく解りました。
私はある意味から見て実際彼の軽蔑に価していたかも知れません。彼の眼の着け所は私より遥かに高いところにあったともいわれるでしょう。私
もそれを否みはしません。しかし眼だけ高くって、外が釣り合わないのは手もなく不具です。私は何を措いても、この際彼を人間らしくするのが
専一だと考えたのです。いくら彼の頭が偉い人の影像で埋まっていても、彼自身が偉くなってゆかない以上は、何の役にも立たないという事を発
見したのです。私は彼を人間らしくする第一の手段として、まず異性の傍に彼を坐らせる方法を講じたのです。そうしてそこから出る空気に彼を
曝した上、錆び付きかかった彼の血液を新しくしようと試みたのです。
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