Libro · こころ
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Autore: 夏目漱石
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芍薬も十坪あまり一面に植え付けられていたが、まだ季節が来ないので花を着けているのは一本もなかった。この芍薬畠の傍にある古びた縁台の
ようなものの上に先生は大の字なりに寝た。私はその余った端の方に腰をおろして烟草を吹かした。先生は蒼い透き徹るような空を見ていた。私
は私を包む若葉の色に心を奪われていた。その若葉の色をよくよく眺めると、一々違っていた。同じ楓の樹でも同じ色を枝に着けているものは一
つもなかった。細い杉苗の頂に投げ被せてあった先生の帽子が風に吹かれて落ちた。
私はすぐその帽子を取り上げた。所々に着いている赤土を爪で弾きながら先生を呼んだ。
「先生帽子が落ちました」
「ありがとう」
身体を半分起してそれを受け取った先生は、起きるとも寝るとも片付かないその姿勢のままで、変な事を私に聞いた。
「突然だが、君の家には財産がよっぽどあるんですか」
「あるというほどありゃしません」
「まあどのくらいあるのかね。失礼のようだが」
「どのくらいって、山と田地が少しあるぎりで、金なんかまるでないんでしょう」
先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も聞いた事がなか
った。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私の胸を去らなかった。しかし
私はそんな露骨な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えていた。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶
然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」
「私は財産家と見えますか」
先生は平生からむしろ質素な服装をしていた。それに家内は小人数であった。したがって住宅も決して広くはなかった。けれどもその生活の物質
的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無
弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」
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