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Autore: 夏目漱石

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その中に動かずにいる父の病気は、ただ面白くない方へ移って行くばかりであった。私は母や伯父と相談して、とうとう兄と妹に電報を打った。
兄からはすぐ行くという返事が来た。妹の夫からも立つという報知があった。妹はこの前懐妊した時に流産したので、今度こそは癖にならないよ
うに大事を取らせるつもりだと、かねていい越したその夫は、妹の代りに自分で出て来るかも知れなかった。
こうした落ち付きのない間にも、私はまだ静かに坐る余裕をもっていた。偶には書物を開けて十頁もつづけざまに読む時間さえ出て来た。一旦堅
く括られた私の行李は、いつの間にか解かれてしまった。私は要るに任せて、その中から色々なものを取り出した。私は東京を立つ時、心のうち
で極めた、この夏中の日課を顧みた。私のやった事はこの日課の三が一にも足らなかった。私は今までもこういう不愉快を何度となく重ねて来た
。しかしこの夏ほど思った通り仕事の運ばない例も少なかった。これが人の世の常だろうと思いながらも私は厭な気持に抑え付けられた。
私はこの不快の裏に坐りながら、一方に父の病気を考えた。父の死んだ後の事を想像した。そうしてそれと同時に、先生の事を一方に思い浮べた
。私はこの不快な心持の両端に地位、教育、性格の全然異なった二人の面影を眺めた。
私が父の枕元を離れて、独り取り乱した書物の中に腕組みをしているところへ母が顔を出した。
「少し午眠でもおしよ。お前もさぞ草臥れるだろう」
母は私の気分を了解していなかった。私も母からそれを予期するほどの子供でもなかった。私は単簡に礼を述べた。母はまだ室の入口に立ってい
た。
「お父さんは?」と私が聞いた。
「今よく寝てお出だよ」と母が答えた。
母は突然はいって来て私の傍に坐った。
「先生からまだ何ともいって来ないかい」と聞いた。
母はその時の私の言葉を信じていた。その時の私は先生からきっと返事があると母に保証した。しかし父や母の希望するような返事が来るとは、
その時の私もまるで期待しなかった。私は心得があって母を欺いたと同じ結果に陥った。
「もう一遍手紙を出してご覧な」と母がいった。

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