도서 · こころ
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저자: 夏目漱石
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私は筆を執って友達のだれかれに短い端書または長い手紙を書いた。その友達のあるものは東京に残っていた。あるものは遠い故郷に帰っていた
。返事の来るのも、音信の届かないのもあった。私は固より先生を忘れなかった。原稿紙へ細字で三枚ばかり国へ帰ってから以後の自分というよ
うなものを題目にして書き綴ったのを送る事にした。私はそれを封じる時、先生ははたしてまだ東京にいるだろうかと疑った。先生が奥さんとい
っしょに宅を空ける場合には、五十恰好の切下の女の人がどこからか来て、留守番をするのが例になっていた。私がかつて先生にあの人は何です
かと尋ねたら、先生は何と見えますかと聞き返した。私はその人を先生の親類と思い違えていた。先生は「私には親類はありませんよ」と答えた
。先生の郷里にいる続きあいの人々と、先生は一向音信の取り遣りをしていなかった。私の疑問にしたその留守番の女の人は、先生とは縁のない
奥さんの方の親戚であった。私は先生に郵便を出す時、ふと幅の細い帯を楽に後ろで結んでいるその人の姿を思い出した。もし先生夫婦がどこか
へ避暑にでも行ったあとへこの郵便が届いたら、あの切下のお婆さんは、それをすぐ転地先へ送ってくれるだけの気転と親切があるだろうかなど
と考えた。そのくせその手紙のうちにはこれというほどの必要の事も書いてないのを、私は能く承知していた。ただ私は淋しかった。そうして先
生から返事の来るのを予期してかかった。しかしその返事はついに来なかった。
父はこの前の冬に帰って来た時ほど将棋を差したがらなくなった。将棋盤はほこりの溜ったまま、床の間の隅に片寄せられてあった。ことに陛下
のご病気以後父は凝と考え込んでいるように見えた。毎日新聞の来るのを待ち受けて、自分が一番先へ読んだ。それからその読がらをわざわざ私
のいる所へ持って来てくれた。
「おいご覧、今日も天子さまの事が詳しく出ている」
父は陛下のことを、つねに天子さまといっていた。
「勿体ない話だが、天子さまのご病気も、お父さんのとまあ似たものだろうな」
こういう父の顔には深い掛念の曇りがかかっていた。こういわれる私の胸にはまた父がいつ斃れるか分らないという心配がひらめいた。
「しかし大丈夫だろう。おれのような下らないものでも、まだこうしていられるくらいだから」
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