Livro · こころ
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Autor: 夏目漱石
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そのうち舌が段々縺れて来た。何かいい出しても尻が不明瞭に了るために、要領を得ないでしまう事が多くあった。そのくせ話し始める時は、危
篤の病人とは思われないほど、強い声を出した。我々は固より不断以上に調子を張り上げて、耳元へ口を寄せるようにしなければならなかった。
「頭を冷やすと好い心持ですか」
「うん」
私は看護婦を相手に、父の水枕を取り更えて、それから新しい氷を入れた氷嚢を頭の上へ載せた。がさがさに割られて尖り切った氷の破片が、嚢
の中で落ちつく間、私は父の禿げ上った額の外でそれを柔らかに抑えていた。その時兄が廊下伝いにはいって来て、一通の郵便を無言のまま私の
手に渡した。空いた方の左手を出して、その郵便を受け取った私はすぐ不審を起した。
それは普通の手紙に比べるとよほど目方の重いものであった。並の状袋にも入れてなかった。また並の状袋に入れられべき分量でもなかった。半
紙で包んで、封じ目を鄭寧に糊で貼り付けてあった。私はそれを兄の手から受け取った時、すぐその書留である事に気が付いた。裏を返して見る
とそこに先生の名がつつしんだ字で書いてあった。手の放せない私は、すぐ封を切る訳に行かないので、ちょっとそれを懐に差し込んだ。
その日は病人の出来がことに悪いように見えた。私が厠へ行こうとして席を立った時、廊下で行き合った兄は「どこへ行く」と番兵のような口調
で誰何した。
「どうも様子が少し変だからなるべく傍にいるようにしなくっちゃいけないよ」と注意した。
私もそう思っていた。懐中した手紙はそのままにしてまた病室へ帰った。父は眼を開けて、そこに並んでいる人の名前を母に尋ねた。母があれは
誰、これは誰と一々説明してやると、父はそのたびに首肯いた。首肯かない時は、母が声を張りあげて、何々さんです、分りましたかと念を押し
た。
「どうも色々お世話になります」
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